2010年01月30日
対人恐怖症は日本人特有の問題?
対人恐怖症は日本人特有の問題?
それに対してリアクションとるのに、体が勝手に反応する訳じゃなくて頭でいちいち考えて返す(;´Д`)
とりあえずニュース日記なんか書いてないで速攻精神科に行って相談してこいや!
これ病気なんでしょ?本気で悩んでる人がいるのにウケ狙いやモテ狙いのネタでの“自称対人恐怖症”は酷いんじゃないのか?
まあ、何が言いたいかというと・・・ 『もっと調べて出直してこい!』
そん時はかなり周り引いちょった。。。笑
てか外人さんはスピーチとかですごい緊張したりしないのかな????
日本人には周囲に気を配り過ぎる事が往々にしてある。その原因としては身内意識の強さだとか、様々ある様だ。かく言う私もその様な意味では立派な"日本人"であり、今でも周囲に怯えながら生活を送っている。日々、心配は絶えない。一日の終わりにはいつも、行動の一つ一つを風呂の中で反芻する。そして、たまに濁った水をバシャバシャして悶える。失敗はとても恥ずかしい。そう、恥なのだ。具体的には他人に対する恥、自分に対する恥。どちらも、似たようで微妙に異なる深い痛みやかゆみを胸に残す。それらを受け入れるのは苦行だろう。しかし、失敗を繰り返さない為には必ず受け入れなければならない。それも、その恥を心中に一生抱えたまま。何故なら、失敗した行動に対する最大の"証"が恥であり、失敗した行動を色濃く残してくれるからである。――とは言っても、恥は諸刃の剣である。つまり、恥というモノは人を成長させると同時に、使い方を誤れば人を成長させる機会をもごっそり奪う。あの様な恥を二度と繰り返したくない。嫌だ、避けたい。その様な感情が、人から前進の一歩を奪い、そして、堕落させて往く。正に、恐怖である。では、如何にして自身の成長の為に恥を使いこなすべきか。人生、まだまだ折り返し地点にも到っていない未熟者である私の暫定的な意見としては『その様な恥の上塗りをいくら想定したところで現実的には何の意味も成さない』と割り切る事である。こうなったらどうしよう、失敗するのは嫌だ。事実、この様に渦巻く感情には何の意味もない。私たちがそうやって考えるにせよ考えないにせよ、行動の結果は無関係に、等しく出るのだから。絶望は、想起するだけでは訪れない。自分の行動こそが、手繰り寄せるのだ。
周りから冷ややかな視線(笑)
変態女扱いだよ(Θ_Θ;)
只今ネットに沸いてる“自称対人恐怖症”は別だ!!
Posted by nagamasa at 03:30